水にまつわるエピソード『罪の意識と人間関係』
水曜日。水にまつわることを書きます。
最初に、万が一この記事をうちの奥さんが見てしまったときのために、先に前置きと謝罪をさせてください。
人生を振り返るなかで、水泳のコーチの経験は、消すことができませんでした。酷いことをして悲しませてしまった罪の意識も、人に何かを教える経験をしたことも。酷いことをしてしまった事実は一生消えないと思っているし、一生かけて償うつもりでいます。ごめんなさい。この記事が不快であれば、すぐに消します。
自分で泳ぐ
ぼくは、幼少の頃から水泳をやっていました。
ベビースイミングから行っていたらしい。
幼児の頃は、ただ親にやらされている、という感じだった。ケンタッキーフライドチキンに見事に釣られて通っていました。馬に人参、paraestaにケンタッキーフライドチキン。
4泳法習得し終えたら辞めていいよ、と言われていた記憶はあるけれど、気がつけば流れで選手コースに。
他に特に取り柄もなかったぼくは、いつしか「オリンピックで金メダル」という無謀極まりない夢を掲げるようになっていた。小学校高学年くらいかな。特に才能も優れていなければ、練習の鬼、というわけでも無かったので、浅い夢だったなーと思う。
中学に入った頃、親の仕事の都合で、スイミングを辞めることになった。色々と何かが途切れて、そこでぼくの夢は終わった。
奥さんへの謝罪とコーチ
大学生の頃は、バイトで、水泳のコーチをしていました。自分で言うのもなんですが、下は幼稚園児から上は80代まで、老若男女に人気のコーチでした。人に何かを教えたり、伝えたりするのが結構得意なんだなと、この時期に自分に自信を持てるようになりました。これより前は自分に自信がなく、コンプレックスの塊で、色々とひどい人間だったと思います。
特に得意だと感じたのは初心者向けのコースで、上手い人がストイックに上を目指していくところをコーチングするよりも、何かを全く知らない人に易しく簡単に伝える方が、向いているような気がします。
この学びと経験を思い出す中で、特定の人を思い出すことは本当にありません。あるとすれば、奥さんへ酷いことをしてしまった、当時の自分のクズさを思い出すくらいです。本当にごめんなさい。
自分の人生で大切な人は、家族と親族と、その瞬間に関わりのある尊敬できる人たちだけなんだと、そんなことにも改めて気づきました。
おわりに
曜日お題シリーズ第七弾。
もうなんか正気でいられないので、日本語が怪しい箇所が多いですね。すみません。
人に教えるのが得意で好きなところを言語化できたりとか、特に“全く知らない”人に教えてその世界に入りやすくすることを望んでいるのかもしれない、と気づけたりしました。やりたいことの「裾野を広げる」ことに、注力してみるのが良いかな、と思ったりしています。
また、自分の人生に、「大切な特定の人」は、本当に一握りなんだと、改めて気づきました。蛭子能収さんと、似た価値観でしょう、きっと。
おわり。
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