独りが好きな人に聞きたい「ありのままを認めるチーム」の矛盾
「個人のありのままを認めるチーム」が世の中を幸せにすると信じています。でも最近、ちょっとした自己矛盾を感じ始めました。
ありのままを認めたい
今の世の中、誰かが決めた、社会が決めた「こうあるべき」に縛られている空気を感じています。その「あるべき」と適合しづらい人にとっては、とっても生き辛いんじゃないかと感じています。
「自分を強く持てば、そんな外野の声なんて聞こえなくなる」
そんな風に思える人にとっては大した問題では無いのかもしれませんが、そこまで強くない人だって、大勢います。誰かに、ありのままを認めてもらえると、そんな人もきっと、「あるべき」に縛られず生きやすくなると、信じています。
ありのままを認めるチームを増やしたいけど
そう信じているのですが、ここで一つの疑問が湧いてきました。たくさんの人を救いたいと思ったとき、
『独りでいること自体が「ありのまま」だと感じる人は救えるのか?』
マズローの「自己実現理論」なんかを念頭に置くと、「所属の欲求」が満たされない限り、人は「自己実現」に向かえないとされているので、“ありのままを認めるチーム”が必要になると思ってはいます。
ただやっぱり、『独り』がキーワードの人の救い方が分からないです。
どうあってもチームに属することに違和感を拭い切れないんじゃないか、とか、そもそもチームに属したくないんじゃないか、とか、どうやったら『独り』の人を置いていかずに済むか、考えが袋小路に入ってしまいました。
おわりに
今日のところは行き止まりで終わり、思考の記録に留めておきます。コメントでのヒント、歓迎します。
久しぶりに真面目に書いたから、ちょっとムズムズしてしまった。おわり。