ワークアズライフへの違和感
全ては人生で全ては仕事という“ワークアズライフ”という概念が、何やら市民権を得てきているように感じます。
総論としては賛成なのですが、どっか喉の隅っこに小骨が引っかかって仕方ありませんでした。
ワークアズライフ
提唱筑波大学学長補佐・助教授である落合陽一氏が提唱したようです。
大人になると、ワークライフバランスが大事だって言われます。どういう意味かって言うと、よいワークがよいライフを生み出して、よいライフがよいワークを生み出すってよく言うんですね。僕はこれ、嘘っぱちだと思っています。僕は最近、ワークアズライフだと思っています。どういう意味かって言うと、みんなはもうタイムマネージメントの時代じゃないと思うんですよ。何が楽しくて何が楽しくないか、何がストレスで何がストレスじゃないかって時代に生きていくんだと思います。時間割に従うことなく、みんな同じことをやらなくても、みんなばらばらのことをやれる時代だと思います。20世紀までの標準化の時代、何が標準かって言うのを考えている時代だったと思うのですが、僕らの時代はどういうパラメーターがあなたにありますかっていう時代になると思うんです。時間でコントロールするんじゃなくて、どこがストレスでどこがストレスじゃないかっていうのが重要になります。
ここで言っていることは、100%同意します。過去記事の「ワークワクワクバランス」と根っこは同じことです。
ワークアズライフって言葉が良くない
うちには子どもが3人います。男3人兄弟で、6歳、3歳、1歳という、子育て大変盛りです。共働き、そして夫婦ともに両親が遠方という状況なので、ぼくの育児参加が重要になっています。
また、ワークアズライフの考え方と同様に仕事のストレスはコントロールすべき、と考えていて、やりたいことをやる、価値の高い順に終わらせる、99%定時退社、評価や体面は気にし過ぎない、という働き方を始めています。ありがたいことに職場の協力も当然あって、仕事のストレスはものすごく減らせています。
(余談ですが、長男が1歳くらいまでは、深夜残業当たり前、タクシー帰りもザラという、非人間的な働き方を続けていました。奥さんに本当に負担をかけました。この場を借りてお詫びしておきます)
子育ては大変、でも仕事はコントロール出来ている、という状況にあっても、ぼくの場合はライフとワークを分けないなんて考えられません。フリーランスだろうが会社員だろうが、献身的に子育てを行おうと思ったら、それはワークじゃなくてライフです。
捉え方によっては、例えば子育てから仕事に役立つことを得られたら「ワーク」って言えるでしょ、とか、子育てそのものを「ワーク」にできる仕事ならいいんじゃない?とか言えるかもしれません。でも、ぼくにはそうは思えません。自分の子どもを育てるってことは、ワークじゃなくてライフです。人それぞれ感じ方は違うと思いますが、ぼくは断言します。ちゃんと子どもと、奥さんと、向き合ってください。自分の子どもを育てるのは、ワークじゃなくてライフです。大事なことなので2回言いました。いや、3回は言ってますね。
おわりに
偏見でしかないかもしれませんが、「これからはワークアズライフの時代だ!」って声高に叫ぶ人たちは、子育てしたことがない、あるいは心の底から自分の子どもを愛してない、情熱を持って子育てに取り組んでいない人たちなんじゃないかと思っています。本当に子どもと家族を一番に思っていたら、「ワーク」なんて言葉を当てないでしょ、と思います。
ああ、小骨が抜けた。スッキリした。おわり。
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