こだわりの功罪
こだわりの逸品。こだわりの一杯。素材にこだわっています。製法にこだわっています。品質にこだわっています。「特にこだわったところはどこですか?」と聞いてみたり。
日本で過ごしていると、様々なところにこだわりが溢れています。あなたにも、「こだわり」はありますか?
「こだわり」は良いことか?
こだわり〔こだはり〕
1 こだわること。拘泥(こうでい)。「なんのこだわりもなくつきあう」
2 (「こだわりをつける」の形で用いる)文句を言うこと。難癖。
「宿所(うち)なら―を付けてやるんだけれども」〈二葉亭・浮雲〉
[補説]1は近年、「こだわりの一品」のように肯定的な意味でも用いる。→こだわる2
https://kotobank.jp/word/%E3%81%93%E3%81%A0%E3%82%8F%E3%82%8A-502182
本来は「拘泥」、気にしなくても良いようなところまで気にしてしまう、というような良くない意味で使われていました。
「こだわる」で思考停止してない?
一方で「こだわっているものは良いものだ」という様な風潮を、今の日本に感じています。いや、本当にみんながどう思っているのか、聞いたことは無いですが。どうなんでしょうね。気になってきました。
いずれにせよ、その「こだわり称賛」空気を真に受けて、なんでもかんでもこだわろうとしてはいませんか?
こだわりの中の価値を見極める
こだわっている部分のうち、本当に受け取り手に意味のある、価値を多く届けられている部分は、見極められているでしょうか。そのこだわりをコスト対効果で考えた際、提供価値に見合ったコストになっているでしょうか。
価値を届けるためにこだわりを捨てられるか
問いかけてはみたものの、ぼくのブログや行動も、こだわりにまみれているような気もしてきます。たまには自分のこだわりってなんだろう?と考え、価値に見合わないこだわりは、捨てましょう。
ぼくはまず、自分のこだわりを見極めるところから始めます。