与えられた不自由と与えられた自由
2020年1月1日から、
Twitterを始めました。
ブログはじめてます。みんな幸せに働ける世の中にしたい。#はてなブログhttps://t.co/0ljvT09C9H
— paraesta@非ITスクラムマスター (@paraesta1) 2020年1月6日
Twitterを始めて色々な方をフォローし、
行動を見ていると、
こんな方が物凄く多いことに気づきました。
「ネットビジネス教えます」
「ブログで月●万円稼ぐ」
「独立するためには」
「SEO対策」
「GoogleAdsense合格!」
「フォロワー数を激増させるためには」
※ぼくがブログやってるから、
という傾向は大いにあるとは思う
これらに触れてひとつ、
気づいたことがあります。
与えられた不自由
ぼくは今、会社勤めをしています。
規定やプロセス、
肩書きや権限や承認など、
不自由だと思う制約は、
確かにあります。
(随分、自由度は上がってきてはいます)
一方で、
規定やプロセスが明確だからこそ、
規定が変わる際には、
ある程度の協議や事前周知が、
社員を交えて行われていると感じます。
与えられた不自由は透明
与えられた不自由さは、
明確なものです。
明確になっている不自由さ以外は、
自由だと捉えることもできます。
与えられた自由
フリーで、
特にブログやアフィリエイトや
GoogleAdsenseなどで
生計を賄っていらっしゃる方には、
会社勤めの様な、
縛られる不自由さは無さそうに見えます。
自分のやりたい時間に、
自分のやりたい様に、
自分の人生を自分で、
歩んでいる感じがします。
ある種憧れる、羨ましい熱を感じます。
ただ一方で、少し違和感を感じました。
「SEO対策(検索ランキング)」
「GoogleAdsense」
「Twitter」
これらはどれも、
ガチガチに依存している」
という点です。
与えられた自由は不透明
与えられた自由さは、
一部の企業が課したルールの上で
成り立っている。
そのルールはいつ変わるか分からない。
実際先日、
アップデート」
があり、検索での表示順が
変わったようです。
【Google大変動】2020年1月8日からGoogleで大きな順位変動|SEOラボ
ネットで収入を得ている方々は、
ぼくからはとても自由に見えていましたが、
ある意味
「手のひらで転がされている」
側面もあるのかもしれないな、
と思った次第です。
おわりに
フリーで生き抜いていくことも、
会社で勤めることも、
リアルで汗水垂らして仕事することも、
ネットで知恵とアイデアで勝負することも、
良し悪しが全然違うんだなあ。
と、改めて思ったというお話でした。
自由って、なんでしょうね。
追伸
ブログ開設当初、ほんの少しだけアフィリエイトとかで稼げないかな……という邪な心を抱いていたことを、一応告白しておきます。にんげんだもの。