発散と収束のあいだ ~ダイコンスクラム~

働き方改革?生産性向上?そんなことよりまず全員が幸せに働ける世界にしよう。「チーム」「信念」「感情」この3つの大切さを日本中に広めたい。思考と感情をダンプし、自分の輪郭を明らかにする。心理的安全性を高める哲学とか解説ポエムとか、アジャイルなマインドとか

『努力する人』は『努力しない人』には絶対勝てない

はじめに

この記事は、以下のエントリーへのリスペクト記事です。

shinn.hateblo.jp

 

努力の方向性や、+αの努力の大切さについて言及されている良記事です。

 

一方でぼくは今回、そもそも「努力」そのものを否定します。

 

内容やタイトルが批判めいて感じられるかもしれませんが、思いは同じつもりです。

 

「努力」という言葉に潜む魔物

努力とは

目標の実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。

 

「心身を労して」

「ほねをおること」

 

目標の実現のために、この2つは本当に必要でしょうか?

 

日本人は、みんな好きですよね。努力。

 

でもぼくには、無理をしているように感じられます。

 

「心身を労する」より「ほねをおる」より、

 

もっと純粋に大事な、必要なことがあるのではないでしょうか?

 

心からやりたい人には叶わない

もっと大事だと思う、必要だと思うこと。

 

それは、「前に進む行動」だと思います。

 

目標達成のために必要なのは、

 

心身を労して、ほねをおって「行動すること」であって、

 

心身を労したとか、ほねをおったなんてことは、

 

目標達成の足しにはならないと思います。

 

というか、むしろ邪魔かと。

 

同じ「前に進む行動」が得られるなら、心身を労するより、

 

楽しんでやる方が、はるかに良いと思いませんか?

 

事例

ぼくは対話を促す「グラフィックファシリテーション」を知ったとき、

 

目から鱗で、楽しくてしょうがありませんでした。

 

心から、上手くなりたいと思いました。

 

1日に最低1枚、何かしら描くと決めて、60日間描き続けました。

 

これを努力だと言う方も、きっといるでしょう。

 

でも、ぼくには違いました。

 

「心身を労する」どころか「健康増進効果」すら感じましたし、

 

「ほねをおる」どころか「こころおどる」毎日でした。

 

 

努力している方よりも軽やかに行動したと、自負しています。

 

まとめ

努力『する人』が努力『しない人』に勝てない理由、

 

伝わりましたでしょうか。

 

同じ行動なら、より楽しく、より軽快に。

 

実践してみてください。

 

 

じゃあどう楽しめばいいんだよ!

 

って言葉が聞こえてきそうですが、

 

すみません、答えはないです。

 

 

ひとつのヒントは、「なぜそれをやるのか?」

 

どこまで考えても、「やるべきだから」といえ答えしか見つからなければ、

 

努力してください。

 

 

考え抜いて、「やりたいから」という答えがひとつでも見つかれば、

 

そこに楽しみを見出だせるかもしれません。

 

 

もうひとつのヒントは、『信念』

以下の記事も、是非お読みください。

 

お読みくださり、ありがとうございました!