ものごとの端と端を往き来することで対象が成長する説
はじめに
今回のテーマ
は、「ものごとの端と端を往き来することで対象が成長する説」です。以前上げたβ版の、正式版です。
物事に取り組む際にぼくが必要だと思うマインドやスタンスについて、記したいと思います。
自分を、仲間を、組織を、社会を良くしていくためにどうしていこう?と悩める方のヒントが見つかればいいなと思っています。
こんな感じ。
この記事で伝えたいこと
は、3つです(予定)。
- 「ものごとの『端と端』って何よ?」。ぼくの言う『端と端』のイメージの具体化や定義付けをしたいと思います。
- 「人は、社会は、端と端を往き来して前進してきた」。端と端を往き来して成長したり、進化したりする例を挙げて、思考を深めたいと思います。
- 「端と端を往き来することで見えてくるもの」。端と端を往き来すると何が起こるから成長できるのか?さらに思考を深めたいと思います。
妄想と現実を往き来しながら、結論めいたものを見つけたい!という心意気です。
1.ものごとの端と端って何よ?
まず、ぼくが「端と端だなあ」と思う言葉を、ぼくの感覚で、左右で仲間分けされるように並べてみます。
- 収束←→発散
- 緊張←→弛緩
- 静←→動
- ミクロ←→マクロ
- 集中←→分散
- 冷静←→情熱
- 論理←→感情
- 左脳←→右脳
- 現実←→妄想
こうしてみると、何となく左右で共通項がありそうです。
左側……
細部を詰める感じ。
理詰めで冷静で、
ものごとを分析する感じ。
現状に着目する感じ。
サイエンスでエンジニアリングな感じ。
右側……
大局を見る感じ。
感情的で情熱的で、
ものごとを総合して見る感じ。
今無い視点を探す感じ。
アートでデザインな感じ。
個人的には、何となーく見えてきた気がします。
が、この時点でうまく整頓して言語化できないので、先に進みます。
2.人は、社会は、端と端を往き来して前進してきた
いくつかの事例を引き合いに、端と端を往き来するってどういうことか、イメージを膨らませます。
価値創造・新事業検討
「ブレスト(発散)→グルーピング(収束)→追加の案出し(発散)→……」端と端を往き来させて、アイデアを進化させようと試みます。
スポーツ
トレーニングと休息、あるいは練習での技の試行と振り返りでの改善点のあぶり出しなど、端と端の往き来で、心技体の成長を目指します。
コンピュータの世界
コンピュータも、端と端を往き来して進化してきました。良いサイトがあったので引用します。
コンピュータの歴史における集中と分散の繰り返しとは、以下のようなものだ。
1980年代までは「メインフレーム」がコンピュータの主役である「集中」の時代で、それが1980年代以降はパソコン(PC)やUNIX/PCサーバーがメインフレームに取って代わる「分散」の時代へと変わった。
そして2000年代後半からは、世界中に散らばっていたサーバーがクラウドへと「集中」する時代に入り、今後はIoT(Internet of Things)が普及することで、ネットワークのエッジ(末端部)にあるコンピュータでの処理量が増える「分散」の時代へと転換するのだという。
日本社会
日本社会も、良い例えだと思っています。
古くは各地で分散して豪族が誕生し、それらが統一を目指して争い、また、戦国時代~江戸時代の間でも似たようなことを何度も繰り返してきていると認識しています(分散と集中)。
※歴史に精通していないので、イメージですみません。。異論反論解説あれば、是非コメントお願いします。
また、今後の日本社会について、AIがこんな予測をしている事例も見つけました。
AIが示す「都市集中」の限界
シミュレーションの結果として明らかになったのは、次のような内容だった。
(1)2050年に向けた未来シナリオとして、主に「都市集中型」と「地方分散型」のグループがあり、人口、地域の持続可能性や格差、健康、幸福の観点からは地方分散型の方が望ましい。このまま都市集中型が進むと、日本社会の持続可能性が低くなる。
裏にある原理はまだよく分かりませんが、ぼくらの回りでは、色々なものが端と端を往き来しながら成長しているみたいです。
3.端と端を往き来することで見えてくるもの
端と端を往き来すると何が起こる?端と端の間には、何がある?という視点で、それぞれ見ていきます。
価値創造(人間の思考)
ブレストで拡げて、グルーピングで狭める。その間には、気づきがある。見えていないものが見えてくる。
スポーツ(身体や技術)
トレーニングで壊して、休息で治す。練習で技を試して、振り返りで試した結果を咀嚼する。その間には、元を超えて戻ろうとする身体の仕組み(超回復)や、次に何を試そうかという新たな一歩や挑戦がある。
テクノロジー
集中で小型化・効率化され、分散で新たな役割や世界観、使われ方が生まれる。その間には、夢や現実やコンセプトや実用化が飛び交っている。
町や社会
都市集中で効率化や尖った出会いや地方への憧れが生まれ、地方分散でゆとりや暖かみのある出会いや都会への羨望が生まれる。その間には、人間の持つ矛盾や無い物ねだりの欲望、『性』と、バランスを取りたいという理性がある。
つまり、
端と端を往き来することで、見えていないものが生まれ、次の一歩を踏み出す勇気とヒントが得られ、夢と現実の間の着地点を模索でき、欲望と矛盾に折り合いをつけるバランスが得られる。
端と端の往き来は、人間の「もっと良くなりたい!」という気持ちを満たすために備えられた、ただの本能から生まれた仕組みなのかもしれない。。
まとめ
今回は、「物事の端と端を往き来することで対象が成長する説」をテーマに、端と端の定義、事例、そこで起きている事柄を読みとこうと試みました。
うまく結論に達した感が無いのが心残りです……
最後に、記事を書く中で見つけた「シナプス伝達」の記事を紹介して締めたいと思います。
(4)発散と収束
①発散1本のシナプス前ニューロンの軸索が多数の側枝に分かれて他の多数のニューロンとシナプス形成すること。
発散によって求心性の情報が中枢神経系のいろいろな部位へ到達します。
②収束
多数のシナプス前ニューロンの軸索が同一のニューロンにシナプス形成すること。
収束によって中枢神経内で情報の統合が可能となる。
人の脳内でも右側と左側の往き来があるということは、「ただの本能から生まれた仕組み」という説も、あながち間違っていないのかもしれません。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
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