「成長のはなし」”学ぶ”と”真似る”
「学ぶ」という言葉の元になった言葉は、「真似る」だと言う話を聞いたことがあります。
「真似る」の良いところ
真似るためには、その対象のことをよく観察する必要があります。観察してイメージがついたら、自分でもやってみます。自分でやったことを客観的に確認しながら、本当に似ているかをまた観察します。観察、やってみる、客観的に確認、観察……の繰り返しです。観察も学び、やってみるのも学び、客観視するのも学び、繰り返すのも学びです。
真似るときの心構え
「真似はよくない」「独自性が大事だ」などという風潮が一部あるように感じています。ちょっと理解はできます。”良い真似”と、”悪い真似”があると思っていて、”悪い真似”を見て深く考えずに、こんなこと言う人が出てきている気がしています。
良い真似
真似る対象へのリスペクトと配慮がある。真似ることで学んで成長しようという意欲が感じられる。最初はコピーの様に真似るが、本質的な部分を体得できた後には、徐々に自分なりの工夫や色が出てくる。真似る対象と横並びにされると、光栄だと思える。
武道などで「守破離」という概念があります。型を守り、型を破り、型から離れていく、という成長のプロセスです。この守破離を念頭に真似し始めると、良い真似になると思っています。
悪い真似
真似る対象へのリスペクトが無く、対象の価値を奪ってやろう、くらいの邪念がある。学んで成長しよう、ではなく、手っ取り早く自分の価値を上げよう、という程度の意欲しかない。常にコピーばかりしていて、本質的な部分を盗んで工夫したり自分の色を出すことはしない。真似る対象と横並びにされると、ちょっと罪悪感を感じたり憤りを感じたりする。
おわりに
真似ばかりしていては成長しないし猿真似と呼ばれたりします。でも、真似しないことには、独りよがりでやっぱり成長しません。良い感じに真似しつつ、コピー人間にならないように、気を付けようと思います。おわり。
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