対話と多様性、快適な自閉
チームの必要性?
以前、孤独を愛する人を「チーム」にどうやって巻きこめば?という趣旨のこんな記事を書きました。
それに対する、何となくのアンサーと言うか、突破口というか、そんな感じの記事を見つけたので、ご紹介します。
「快適な自閉」
情報量が爆発的に増え選択コストのかかる現代社会においては、むしろ多様なもののなかで自由に生きるより自分の気にいるもののなかに閉じこもった方が遥かに幸福だからだ。大屋氏はこの状況を「快適な自閉」と呼び、警鐘を鳴らす。
「快適に自閉するかぎり改善しようという努力は発生しえないでしょう。そうなると“エコシステムの死”に行きつくしかない。新しいものが何も出てこず、緩やかに絶滅していくしかないわけです」
これを読んで、まさに、自分が言いたかったことに近い、と感じました。
そりゃ対話はしんどいですよ。価値観が違うなら、なおのこと。閉じこもることは楽で幸福だけれど、でも本当にそれでいいの?ということを、よりクリアに問題提起してくれています。
「快適な自閉」への恐れと違和感。そのまま行くと、絶滅するよ。
おわりに
なんか結びが物騒だったので、絶滅繋がりで「わけあって絶滅しました」という本から、ユーモラスな絶滅エピソードをご紹介。
「デコりすぎて絶滅」したオパビニア。5つの目に、ホースにハサミなど、つけすぎた機能が仇となって絶滅してしまったとは、せつなすぎます。
あなたにもいつの間にか、ほら背中に、ホースとハサミがくっついていませんか??
(やっぱりちょっと物騒)
おわり。